土屋和男



山水画にみる景観概念
-江戸の南画家達の理想世界-
(1998/10/19 静岡新聞)



 一年半ほど前から,近代建築史の研究として,主に県内に残る明治から昭和初期の,別荘,別邸や旧家における客間や離れなどの増築部分を訪ねている。
それらの建物の写真を撮ろうとしてよく感じるのは,その撮りにくさである。たいていが塀や垣根や樹木に隠されて,遠くからは屋根しか見えない。門をくぐっても,建物が見えるのはかなり近づいてからで,全貌を見渡すことはできず,部分,部分を断片的につなぎ合わせていくしかない。
別荘や離れは,都市生活から逃れたり,隠居したりするためにつくられることが多く,一種の隠れ家だから見えにくいのは当然と言えば当然だが,それでもヨーロッパの別荘であるヴィラなどとは全く違った景観概念がはたらいていると感じる。
その景観概念は,「隠れる」ということではないだろうか。これは,そこでの生活を示す概念が,景観として表されたと言うことができよう。


 そこで山水画である。
山水画は「隠れる」ということを,暮らしぶりとしても景観としても表現している。
画中には必ずといってよいほど、小さく人物や建物が描かれ,それらは樹木や岩山に囲まれて,にわかには見つけるのが難しいくらいに慎ましやかである。
この人物は中国に範をもつ文人であり、彼は世間の俗事を逸し、山中に隠棲した人である。建物は彼の住処で,形態に奇抜さはなく,むしろ自然のなかにいかに隠すかが要点のように見える。

 多くの山水画は,この画中の人物の生活への憧れから描かれた。また,それを鑑賞する側も同様で,床の間や襖に室内装飾として掲げることで,文人の世界という意味空間にいわば「参加」するのである。


 冒頭の別荘や離れを建てた人々は,当時の華族や財界人,または地域の実力者であり,彼らはまた限られた知識人であった。
彼らにとって,江戸時代に築かれた文人の世界観を理解することは,一種の教養とされていたと考えられる。
別荘や離れを建てる人にとって,文人の世界観は生活のモデルとなると同時に,現実の景観にも反映されたのではなかったろうか。
つまり山水画におけると同じような環境をつくり,見ずからがそのなかに居ることで,画中の人物と同化するというような感覚があったのではないだろうか。
そのために建物の周りに植栽が施され,庭が造られ,地域の景観が形成されていったとも考えられる。
もちろん全てがそのようにつくられたわけではないだろうが,別荘や離れにおいて,生活上の概念が景観として表われるということと,逆に,モデルとしての景観がそこでの生活を演出するということとが共に考えられるのである。

 そして,そうした著名人や地域の有力者のすまいは,一般の人々にも景観モデルとして機能したはずである。
なぜなら景観は誰にでも見えてしまうものであり,建物は個人の所有でも,景観は地域環境として共有されているからだ。
結果的に,こうした「隠れた」建物は,地域の共通コードとして景観の乱れを防ぐ効果を担っていたと推測される。
言い換えれば,それ以上に目立つ建物はあまり建たなかった,ということである。


 ところで,現代の地方景観はどうだろう。
今世紀の後半は,近代化,都市化の傾向の下で開発が進められてきた。特に静岡県はそうした傾向を進めれば東京近郊のような景観となるだろうし,現にかなりなっている。
しかし現在求められるのは,そうした都市部の原理とは異なった,地方ならではの自然環境を生かした景観概念である。
これまでの,新しいものをつくり,それを「見せる」景観から,ときには「隠れる」あるいは「隠す」景観に考え方を変える必要もあると思われる。山水画を眺めた後,国道を運転しながら考えた。



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