土屋和男



「パンセ」(パスカル 前田陽一,由木康 訳)(中公文庫)
「書物つれづれ」心に残る一冊(2001/7/14 静岡新聞)



 西洋美術史や建築史では,絵画や建築の細部が神話や聖書の絵解きといった側面がある。

 イタリアのコルトーナという街にルネサンスの修道士,フラ・アンジェリコが描いた「受胎告知」がある。
この主題は多くの画家によって描かれたが,この画面では手前にマリアと大天使ガブリエルが描かれ,背後には原罪を負ったアダムとイヴの楽園追放が描かれている。
マリアは石柱の並ぶ建物の内にいて,ガブリエルは屋外から処女で神の子を身ごもったことを告げる。
自然と人間の二つの世界をつなぐ場所で告知が行われ,背後に描かれた原罪の贖罪に神の子が遣わされたことを示している。

 処女懐胎とか原罪とかいう話は聖書になじみが薄いと理解しにくい。
学生時代,絵のすばらしさには惹かれながら,ナンセンスとも言える主題には合点がいかなかった。
そうしたとき,パスカルの「パンセ」(中公文庫)に次の一節があることを知ったのである。

「われわれの理解から最も遠いところにあるあの秘義,すなわち原罪遺伝の秘義は,それがなければわれわれ自身について何の理解も得られなくなるということである。」

 これは次のような議論に基づく。
人間は幸福の観念を持つ。不幸の観念も持つ。もし完全に幸福ならば不幸の観念は知らないはずだ。一方,初めから腐敗していれば幸福の観念はないはずだ。
これは「われわれがかつて完成へのある段階にいたにもかかわらず,不幸にしてそこから堕ちてしまった」からであり,このことを示すのが原罪がわれわれの中に遺伝しているということなのだ,というわけである。

 この論証に出会ったとき,私はヨーロッパ文化の底力を見た思いがした。
この哲学者・科学者はナンセンスなことをも合理的に考え抜こうとする姿勢の末に,観念のはじまりには不可解な一撃が必要なことを論破したのである。
そう考えると処女懐胎も生命のはじまりの不可解さ,すなわち一番初めの生命はどこから来たのかを表現していると思い至るのである。



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